希望の正体。可能性を見つめること。
こんにちは。24カクです。
過去記事にも書いてきましたが、娘と日常を過ごしていると、多くの気付きを与えてくれます。
最近、娘が新しく始めた運動系の習い事があって、そこではまずきちんとした挨拶を求められます。知らない保護者でも、子供が駆け寄って来て丁寧に挨拶。始まりには複数のコーチに1人1人丁寧に挨拶。一緒に練習する子供同士で挨拶。終わりにはまたコーチ1人1人に丁寧に挨拶。会場を出る時に改めて大きな声できちんと挨拶。
と書くと、何やら時代錯誤なスパルタ系の指導を思い浮かべる方もいるかも知れないけど、実態は全くの逆。子供達が本当に伸び伸びと、且つ真剣に取り組んでいる様子が見ていて伝わって来る。
体を思いっきり動かすという喜びを純粋に表現しつつ、同時に今の自分にはスキルとして何が足りないのか?を自ら考えて、目の前の練習に組み込ませるというスタイルが確立している。
娘が所属するコースは小学生だけで構成されていて、練習前の準備体操から練習の合間の体幹トレーニング、子供同士での練習補助、練習前後の整理整頓など、そのほぼ全てが子供達だけで運営されている。うちの娘を含め、低学年の新しい子が入ってきたら、コーチに促されることなく、自然と大きな子が優しく練習の流れや段取りを教えてくれる。
そんな素敵な光景がそこにはあった。
挨拶をきちんとしよう。これも高学年の上の子がうちの娘に教えてくれたこと。
希望の正体
そんなクラブに入った娘。
娘は普段「超」のつく活発さで元気で前向き。それと同時に見知らぬ大人の前では「超」のつく恥ずかしがり屋さんで、授業参観に行っても「知らない大人がいる、見てる」というだけで手を挙げれなかったり、今住んでるマンションのエレベーターで会う住人に挨拶を促しても恥ずかしくて出来ない。
別にそれはそれで良いと思っていて、そのうち出来るようになるよ、くらいに思っていた。
ところが。
クラブでの同年代の子供の姿に刺激を受けたのか、練習後の挨拶では、今までぼくが聞いた中で一番の音量でコーチにさよならの挨拶をしていた。
「出来たで!挨拶できた!」
嬉しそうな娘の顔を見てぼくも嬉しかった。今まで出来なかったことが出来た、そんな誇らしそうな娘の顔を見て、ぼくも誇らしい気持ちになった。
帰ってきてマンションに着くと、エレベーターに乗り合わせた住人にこれまた元気な声で挨拶をした。
「挨拶出来たで!」
勢いに乗ったんだろう。また嬉しそうな顔を見せてくれた娘。
「今の、お父さんより声大きかったで!」
「お父さん、もっと元気に挨拶せなあかん!」
最高だ。
何の他意もなく最高だと思った。
勇気を出して元気に挨拶したら、コーチも周りの子供も父親もとても喜んだ。
出来なかったことが出来た。
誇らしげな、嬉しそうな娘の顔。
そんな娘に、希望を見た。
勇気を出した結果、見えてくる将来。
それを希望と呼ぶのだと思う。
可能性を見つめる。大切にする。
やればできる。
娘は、そんな可能性にちゃんと向き合った。そんな可能性をちゃんと大切にしたんだ。
また一つ娘に大切なことを教えてもらった気がする。
自分の可能性を見つめること。
自分の可能性を大切にすること。
可能性とは幾つになっても変わらずそこにあるということ。
勇気を出すこと。
希望とは自分で見出していくものであるということ。
自分の可能性を大切にするために、
この先幾つになっても希望を見出していけるように、
ぼくも娘よりもっと元気に挨拶することから始めようと思う。