ぼくらが働く理由。人類が二足歩行を始めた背景。
こんにちは。24カクです。
何のために働いてんだろう。。
もちろん、生活するためだけど。。
ほんとにそれだけ??
こんなこと考えた事ないですか?
社会人になったばかりの頃、20代のぼくはこんな事ばかり考えてました。自己啓発本やら哲学関係の本やら関連する本も沢山読みました。当時独身だったぼくの部屋は本で溢れかえっていたほど。その頃のぼくの人生において、仕事の占める割合があまりにも大き過ぎたんですね。1日に費やす時間の面でも、精神的な意味でも、ぼくの大部分を仕事が占めていた。1日の大半を使う仕事というものが果たしてお金のためだけであっていいのか、納得できる答えが欲しかった。
今となっては「働く意味」について昔ほど考えることはなくなりました。家族も子供も出来て、大好きな趣味もいくつかあって、ぼくの中で仕事の占める割合が相対的に低くなったんだと思います。
なぜ働くか?「お金」(生活のため)と「充実感」。これが今のぼくの答えですが、後者の充実感とは何を意味するんでしょうか。
働くということ。
「働く」の語源は、「傍(はた)」を「楽(らく)」にすること、と言われてます。そばにいる人を助けること、楽にさせること。
いい話ですよね。
働くというのは、その言葉の由来からして「誰かを助ける」ということになっている。ぼくらは社会に暮らし、社会から多くのものを受け取って、また社会に何らかの貢献をしてます。
つまり、社会に生きる、ということは誰かの役に立つということ。自分の大切な人にとって役に立つ存在でありたい、自分がいることで誰かに喜んで欲しい、幸せにしたい、誰かの幸せに関わってたい。そんな普遍的な欲求があるんだと思う。
人類が二足歩行を始めた理由。
昔、何かの本で読んで、とっても印象に残った話があります。
人類の祖先は、ある時まで他の霊長類と同じく四足歩行だった。それが、ある時を境にして今のぼくたちと同じように直立して二足歩行を始めた。はっきりとした理由は分からないのだけど、一つの興味深い推測がある。それは、後ろ足だけで直立すると両手が自由に使えるようになる。人類の祖先は、両手を自由に使うことで、家族や仲間に水や食料を持ち帰るために立ち上がった、という説。
面白いですよね。これこそまさに社会的存在である「人間らしい」話に思えます。
家族や仲間と共に食事をする。そのことに喜びを感じるのは人間だけらしいです。獲ってきた獲物や水を家族や仲間の元へと届け、感謝されながら一緒に食欲を満たす。そこにはきっと、大きな充実感があったんだと思います。
その充実感のためには、後ろ足だけで立ち上がって両手を自由にする必要があった。誰かの役に立つため、一緒に食べるという喜びを分かち合うため。
これこそ、働くことの意味だと思います。
食べるため(生活のため)、そして誰かに喜んでもらうという充実感のために働く。二足歩行という苦難に耐えてまで得ようとした、誰かの役に立ちたいという思い。
働くというのは、生きる上で根源的なものなんですよね、きっと。